ゴールドマンサックスの人事制度について考察してみる。

ゴールドマンサックスの人事制度の歴史が面白かったのでメモです。

ゴールドマンサックスと言えば、高学歴・高収入、20代で年収2000万円を貰っている人も

いるという投資銀行の筆頭です。

個人的には投資銀行と言えば、あのレオナルド・ディカプリオ主演の、

ウルフ・オブ・ウォール・ストリートの映像が浮かんできます。

カネ・女・パーティ・・・そんな世界のイメージです。

さてそんなゴールドマンサックスについてですが、

人事制度を勉強する中で、とても面白かったのでブログに残しておきたいと思います。

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ゴールドマンサックスとは?

以下、Wikipediaからの引用になりますが、世界有数の投資銀行であることはご存知の通りかと思います。

アメリカ合衆国ニューヨーク州に本社を置く金融グループである。株式・債券・通貨・不動産取引のブローカーであり、貸付・保険・投資銀行業務にくわえ、プライベート・バンキングも行う。GPIF年金運用委託先の一つ。

GPIFと言えば、年金の運用!

我が国の大切な年金も、ゴールドマンサックスが運用していることになります。

1990年代以降、金融の自由化や、一方でアメリカ合衆国内のNASA

ゴールドマンサックスの発展の歴史とは?

ゴールドマンサックスは1869年にニューヨークマンハッタンは

PINE STREETという場所に、ゴールドマン・サックス社を設立しました。

1880年には10万ドル、そして1904年には$100万ドルの資本を得るなど

順調に拡大をしました。

1929年の世界恐慌でも大きなダメージを受けましたが、

その後も成長を続け、世界最大の金融機関の一つに成長しました。

1999年にIPOを行い株式公開。2008年以降の世界的な金融危機(リーマンショック)に際しては、

サブプライム関係のコンテンツを素早く処理し、損失を最小限に抑え、現在でも世界での

地位を保っています。

その後、アメリカ合衆国以外の地域での収益、つまりグローバルな市場での収益獲得にいち早く乗り出し、紆余曲折がありながらも、グローバル市場のコントロール手法を学び、その結果グローバルな市場での企業としての競争優位を確立していきました。

転機となった1999年の株式公開

ゴールドマンサックスにとって転機となったのは、1999年の株式公開のタイミングです。

モルガン・スタンレーなどのライバルと同様、株式公開のタイミングで、

組織を再編し、それまで主流であったパートナー制を廃止することが決定されました。

パートナー制度には無限責任のジェネラル・パートナー(General Partner)と、有限責任の

リミテッド・パートナー(Limited Partner)の2種類が一般的ですが、それぞれパートナー制度の従業員は、

いわゆる個人事業主のような形で、より高い給料を得るために転職したりといったような

急に退職するといったことも頻繁に行われました。

ゴールドマンサックスとしても、今後流用的な人材を確保するよりも、自社で囲い込めるような仕組みを作る方向へ舵を切ったと言えます。

どのような人事制度をとったのか?

IPOで組織改変をする当時、ゴールドマンサックスには人事部は存在していました。

しかしながら、体系的な研修や人材育成は行われておらず、あくまで個人の裁量と徒弟制度によって

人材育成と成果といった絶妙なバランスを保ちながら、発展してきました。

しかし、社内での議論の結果、新たに人事委員会を立ち上げ、ゴールドマンサックス流の

人事制度について、体系化したトレーニングプログラムを開発することが決定されました。

どのようなプログラムであったのか?

ズバリ、名前は”PINE STREET”です。

ゴールドマンサックス発祥の地の通りの名前を名付けたということですね。

そして、その内容は、外部から有識者を招聘し、人事部門のトップに据え、

内部のリソースを有効活用しながら、ゴールドマンサックス流のリーダーシップについて

人材育成のノウハウを深めていく事となります。

もちろん、それだけのために多額のコストや時間を費やすわけにはいきませんので、

参考文献:

ゴールドマンサックスの株式公開

Leadership development at Goldman Sachs

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